10周年記念誌(1990年発行)より一部抜粋掲載
初代理事長 故玉川進 が語る法人誕生の経緯
法人としての恵庭光風会、そして「恵庭光と風の里」を創るきっかけは昭和50年代初頭、私が恵庭三四会初代会長だった時に、浜垣恵庭市長から何かの席で「恵庭市の更なる福祉拡充に、地元経営者有志の集まりである恵庭三四会として、何か一肌脱いでもらえないか」と言われたことでした。そこで恵庭三四会の例会にて会員に相談したところ「それは良いことだ」と満場一致でご協力することとなりました。しかし具体的に何をするべきか?はわかりませんでした。
それからしばらくして、特殊学級の先生たちとお話する機会がありました。その際に「知的障がい児たちの卒業後の行き先がない。隣町の北広島町や千歳市には施設があるが、恵庭市にはなく、保護者の皆さんも困っている」という切実な悩みをお聞きし、先だっての浜垣恵庭市長のお話と繋がりました。そこで知的障がい者の為の施設建設を目指そう、という目標が出来、「建設期成会」の立ち上げとなったのです。恵庭三四会として運営は出来ませんので、会員有志を募り、理事となって頂いて恵庭光風会が誕生しました。
そこから浜垣恵庭市長、道や市の行政担当者、有識者等と理事者たちで話し合いを重ね、全道の施設見学を繰り返し行いました。当時の施設は生活感に欠けているように感じ、これから創る施設はそうならない工夫をしよう、と皆で話し合いを重ねました。それが現在の小規模ユニットでデイルームを明るく広くした造りに繋がりました。
加えて建設の為の陳情活動も開始しました。延べ21回、東京へは出向きました。日本自転車振興会(現公益財団法人JKA)や関係省庁等の各陳情先に伺うと「恵庭市はよく知っているよ」と声をかけられました。これは浜垣恵庭市長が繰り返しご挨拶やお声がけをしてくれていたおかげです。行政と民間が一体となった稀有な例だと思います。また国会議員の地崎宇三郎先生と秘書にも大変お世話になりました。日本自転車振興会に先生自らご同行いただいたことも先例のないことだと伺っております。先生ご自身も福祉には強い思いを持っておられ、特に力添えをしていただいたのだと思います。
恵庭市民の皆さんには啓蒙活動と共に、歌手の坂本九さんや宮城まり子さんをお呼びしてのコンサート、お琴、お花、ゴルフなどを通じて募金活動を行い、建設資金を市民の善意としてお寄せいただきました。そこに滝止士さんの生前香典も寄せられることが決まり、一気に機運が高まっていったのです。加えて理事者個々が自ら建設資金を寄付して、寄付総額は5千万円を超える額となったのです。厚生省に出向いた際には「本来ならば国がやらなければならない事を皆様にやっていただき、本当に感謝しています」と言われた事は苦労が報われた想いでした。
現在の「恵庭光と風の里」の建設地も当初の予定地が入手出来ず悩んでいたところ、浜垣恵庭市長がすぐに市有地を無償譲渡する決断をしていただきましたし、借入金に関しても恵庭市議会のご理解ある承認により、債務負担は恵庭市が全額持っていただくなど、本当に多くの皆様のお力添えによって誕生した法人であり、施設だと感謝しています。